スイスの安楽死 メモ

スイスで安楽死を行いたい、という依頼があったので、
以下にメモを残しておく。

最大限、人の意志は尊重されるべきもの。そして自由。

安楽死したい、というのは悲観がベースになっている。
人生というのは次の瞬間に開ける場合もあると思うし、とても辛い場合もある。辛い場合は、じっと耐えるしかない。。

私の場合、厄年になって酷い災難が降りかかるようになり、2・3年経って、ようやく回復してきたので、「人生が辛い」というのは本当に心痛だと思う。

ただ二言だけ言うと、私の近親者は自殺した。
だから止めてほしい。影響は大きい。ずっと引きずってしまう。
自分の事だけじゃないのは、産んだ人間、育てた人間、
産んでもらった人間、育てられた人間は、イメージとしての貴方の存在が必要なのかもしれない。

さらに私は死後の世界というのは科学的にあると考える。
量子力学という不可思議な学問は、およそ人間の感覚ではない。
だから自然観察から出発した科学は、以前の自然観察の結果である宗教と同一となる日が来るかもしれないということ。
つまりゲーテやダヴィンチの言う通りの、自然観察から言えば、輪廻転生という概念が引き出される可能性がある。

その時自殺者はどのような惨めな立場に立たされるのだろうか?

ダンテの言う通り、自殺者は量子の世界で、その苦しみをさらに背負わなければならないとしたら、今の自分の苦境に火に油を注いでいるようなものではないだろうか?

ただ悲観ではなく、死期が近いのに病気が苦しいとか、そういう極めて限定な話題なのであれば、私はもちろん「有効かもね」としか言えない。あくまで本質が悲観による自殺ではなく、なんらかの事情を伴う方法論的なものであれば、議論するベースが別のものになると思える。

ただ思うのは、やはり悲観が少しでも入るなら、介錯人としても辛いという事。それが赤の他人でも。その人の苦しい状況はわからないけれども、できれば止めて欲しい、という思いはある。

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