強さ、それは既成権力に対抗できる個体力(とその表現)

最近目を通した文に「シオンの長老の議定書」というのがある。

「権力は暴力の上に作られている」とか「民衆は豚と同じでバカには賢者が必要なのと同じように、政治は恐怖で行うべき」といった誠に、冷静な分析は結構なものの、かなりカチンと来る表現があって、このシオンの議定書を凌駕する考え方を行おうと思った。

そもそも自分達の事を賢者と思っているんだから始末が悪いw
しかしそれを凌駕する頭の良さを発揮すれば、自分が単なるバカなことを気が付けるので、良い薬になると思う。この本のおかげで、チカラとは何かを考えさせられる契機となった。

力とは応力のことである

この時代における価値とは個人の力、個人の魅力のことである。

それ以外にない、ということを世の中の人は知らない。

なぜならこんなに平和な世の中で、かなり便利なのだから。そういう表層の楽しみに心を奪われるのは、良いことだと思う。

でも世の中が便利になったり、少し良い体験をしただけで、つまり「真の目標」とは何かと考える時に、美学が必要になる。

その美学のうちで、もっとも高貴な美学は何か?と問わざるを得ないのではなかろうか?つまり権力の上に居れば、かなり快適に世の中を動き回れる。しかし権力の側におらず、不動の道を歩きたいと思う人間こそ、「カッコイイ」という範疇に入るに決まっているのだ。

まずそこが分からないと、この世で何が最高の価値なのか分からなくなる。そこで、シオンの議定書のように、クソみたいな目標を掲げてしまうと、笑っちゃう結果になるんだよね。

つまりチカラとは集団行動に依拠しない、独力=個体力である。世の中では権力などから吸い取る、蚊みたいな野郎がいくらでもいる。そればっかりだ。でも芯のある人間はそういう生き方をしないので、あまり世の中の表面には表れて来ない。

あのシオンの議定書、プロトコルが恥ずかしいと思われる位に、道徳の高みに立つなら、それが正しい生き方だと思う。それはいつでも可能なのだしそう生きれば良いのだ。誰でも始められる。

人間は行動によって評価される。意見ではない。だからこそ、人間が完成しなくても、行動によって結果を産むことができる。

それが分からない世の中だったからこそ、無知の闇に呑まれていただけなのだ。誰しもが立派に行動できる。それこそが誠にありがたい、この世のシステムではないだろうか。

QR Code