「運命の眠れる奴隷」と復讐。答えは沈黙にある。

運命について、ゲーテは次のように言う:『人は「死して成れ! 」を会得せぬ限り、この暗い地上の虚ろな客人にすぎない。』

最も霊的な高みにある『鳥・蝶・羽ばたく者』は死を志向する。

現世を臨み、意志(火)の世界に住む。物質が燃える時に、命が燃える時に、幸せと満足を感じるのだ。だが今日の話題は「運命」。

我々は「この世」の虚ろな客人なのか

このところ、厄年・呪いから大いに学んだ。一連の出来事などどうでも良いのだが、自分の「運命」に「反感」があるのだ。

世を恨む、というわけではないが「どうしてこのような辛い状況が幾つも重なるのだろう」と不思議を通り越して、「反感」が育つので、復讐を誓うのであるが、何となく理由が掴めてきた。

最後まで行き着いた

以下のR.Steinerの全集から、相応する箇所を書き出す:曰く:

1. 沈黙することを学びなさい、そうすれば力が得られるだろう、
2. 力を諦めなさい、そうすれば意志が得られるだろう、
3. 意志を諦めなさい、そうすれば感情が得られるだろう、
4.感情を諦めなさい、そうすれば認識が得られるだろう。
これらは人間が上昇していく四つの階梯である。それぞれの抑制は一定の力を与える。もし、人が絶えず彼を支配し、隷属させる霊や存在を知るならば、彼はもはやそれらの奴隷である必要はない。学徒が最初に学び、行うべきこととは、自分自身に注意を払う、ということである。

つまり、人間は元々、運命の奴隷、なのである。

では運命とは何か、ということなのだ。それは我々を強いる霊や四大霊のことなのである。そして運命に復讐するとは、そういう霊に復讐することと同義なのである。

で、今、運命から学んだ事、それは沈黙することである。

これは直観的・感覚的に正しい。

人は迷わず生きる時、最も強い。雑念はおのれを弱らせる。

運命がいかに過酷なことをぶつけてきても、嘆く必要はない。自分のことに集中すればいい。それだけの話だ。

それをこの厄年と苦境から学んだ。

確かに人は苦しいと、愚痴も言いたくなる。だが楽になった時、愚痴を言わずに、浮かれているのは、苦境に対する非礼である。自分が苦しんだ事を、徹底的にチカラにすべきだと感じる。

でなければ苦境の存在する意味がない。自分が苦境に意味を与えるのである。価値を創造するわけである。

沈黙の価値

日本人が「黙っている気持ち悪い人種」とまでは言わないが、似たような感覚はある。それは素直じゃない、ということ。

ドイツ人と日本人でかなりコミュニケーションが違うのを見てきて、実際のところ、「ハッキリ言え」と言われる日本人が山ほどいる現状があるが、そういう意味の沈黙は金ではない。本当に。

自分の思っていることを秘密にしたり、回答を後出ししたり、「勇気」のない連中の「沈黙」は弱さなのだ。

ここで言う沈黙とは、自分の内面生活を沈黙にする、ということ。あれこれは考えない。この事に尽きる。

運命の奴隷なのは、霊の奴隷だからである。

自分を解放するには、周囲に語らせる必要があるように思う。沈黙しつつも、注意深く、周囲の語るところを浮き出させるようにする。

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