シュタイナー教育と日本人の欠点

シュタイナー教育が日本に入って、はや20-30年。故・子安美知子氏や高橋巌氏、故・西川劉範氏など、ごく小さな勉強会から始まった情熱が、シュタイナー教育を輸入させた。

今、シュタイナー教育本部ドルナッハの幹部が漏らしていた。『なぜ中国では爆発的にシュタイナー教育が拡がるのに、日本ではたった数校にとどまるのか』
答えは簡単。日本人は他人と共同するのが下手糞な人種だから。

だが日本人はわからないのだろう。
日本人は結構極端で、離婚問題などを見てもすぐわかる。神経質で、細部まで一致しないと気が合うと見做さない。

特に精神的なものであればなおのこと。

十年前位にドルナッハにいた時、「なぜ日本のアントロ協会は分裂するんだ」と言われていた。要するに日本人は他の人がやっている事が気に入らないだよね。分裂するってのは、思い込みや感情のアレコレが強すぎる。というよりも理性が(社会の)ベースにないから、人と人が争ったりすることに重きが置かれ、一致を前提に話し合う建設的な目標がないのだ。一種の利己主義である。

一生やってろ、と思う。そういう日本人。。

これはアントロやシュタイナー教育に限らない。
少しでも精神的なものであれば、余計に分離したがるのだ。そういう場合、ほとんどが政治的=いわゆる党派的な「野心」が原因であり、驚くべきもの。精神的な看板を掲げながら、実は「野心」で行動している。アントロと「野心」は本来、水と油の如き相容れないものなのだが、結局どの精神運動でもそうだが、理想は高尚でも、実際の中身が全然ついていかないので、そういう所に落ち着く。

アントロ自体にも問題はある

これは話の続きだから書くが、まずはドイツ的なのが問題だろう。シュタイナーの着眼は良いかもしれないが、ドイツ人がまずはアントロ自身の欠点になっている。ま、アメリカ人が運営するよりは真面目でマシだとは思うが、ラテンの要素がない。イタリアやフランスに拡がらないというのは、そもそも欠陥があるに決まっている。それがわからないんだろうね。

ドイツ的な重苦しさは、イタリアやフランスのセンスとは相容れない。そういう事がドイツ人にはわからないのだ。

最近思う事だが、『欠けているものは本人には気がつかない』という法則どおりである。例えば食の薄い人はグルメの「世界」がそもそもわからないし、知らない。ドイツやイギリスのレストランとイタリアのそれとは、各段にレベルが違う。性欲もそう。欠けている人は十分に備わっている人に較べて、自分の貧相さに気がつかないのだ。一生、である。万事につけて、このとおりに世界は動いている。例えば私は意外と音楽が無くても生活できてしまう。音楽が薄いのだ。この世に無くてもそんなに痛手じゃない。音楽を好む人からすれば、信じられない鈍感さなのだ。

溝は埋まらない

自分自身を知る、というのも、自分の欠点を知る、自分の取説を知る、ということも含まれている。人間というのはすぐに偏る。

片寄るとそれは一時的には人生の旨味になる。しかし長期的に見ると欠陥が見えてくる。だから自分の薄い部分に注意していないと、思わぬ障害にぶつかるに違いないのである。

しかし障害にぶつかるってなかなか凄いことで、ドイツ人やアントロの欠点をアントロ自身が知る機会なんて、たぶんそうそうないと思う。日本人もそう。日本人の欠点って、体験から知る人はあんまりいないんじゃないかな?と。

だから思う。そういう溝はあまり埋まることが期待できないと。

あからさまに言えばわかるんだけど、例を挙げたり、教えなきゃ、あんまりすぐにわかるものでもない。やはり体験的な反芻を経て、次第にわかってくるのが普通かな。

だがアントロは続く

日本では良い事は良い、というドイツ的な思考は通用しない。

ドイツでBIOが素晴らしく普及するのも、民族の特性だ。
日本ではああだ、こうだ、と、ぼんやりと焦点がぼやけたまま、問題がないように進んでゆく。愚鈍という言葉が似合うのは、日本人に「問題意識」を拾う能力が少ないんじゃないか、と。

国会とか見てるとわかるよね。残念だけど、日本人の会議の能力の悪い部分が国会に現れている。問題意識が鋭利じゃないから、日本人の会議って焦点がぼやけていて、発言者の言いたい事や感覚がそもそも理解できてるケースは数%のような気がする。

「会議に何をしに来ているか」まずはそっから日本人には教える必要がある場合が多い気がする。国会に何をしに行っているのか、もたぶん同じことだよね。会議に無駄が多いのも日本人の特徴だと思える。

多くの日本人にはシュタイナー教育が何であるか、関係のないことなんだけど、民度が低い日本人には仕方がないこと。実際に日本のシュタイナー教育が普及しないのは、普及方法が下手クソなのが原因であるのは間違いないと思う。アメリカでさえ、シュタイナーか、モンテッソーリか、みたいなところがあると思う。

日本人の民度を考えるとき、本当に嫌になる。
だけどこれが現実なんだよね。次の世代で少しは改善されると思うが、ま、インターネットの普及はかなり民度に追い風のように思う。

今回は日本人が見えていない障害について書いたが、普及方法なんて人次第のところもある。やり方次第では普及すると思う。

ただ日本人って、シュタイナー教育の変わった所しか見ない。
そうじゃない。シュタイナー教育は全人教育である、っていうところから教えないと、民度が追い付いてこない。むしろ全人教育という言葉が拡がらないと、日本人は「教育が受験」と思い込んだまま、死んでいくんだろうな。アホだなぁ。。

あ、ドイツの大学は無料なので、景気が悪く授業料が高い日本から、入学するのは、一つの選択肢だと思う。その際、高校生からドイツ語を習い、ドイツ留学をすべきだと思う。

冒頭の写真は南ドイツLörrachのシュタイナー学校だが、ここに日本から今ひとり留学生が来ている。なんと自分で意志して留学しているようだ。たくましい。もしかして将来、シュタイナー教育を日本に再輸入するかもしれないね。

何かね、教育って、普通の日本人から受験を取り上げたら、残るものが少ないってのが、すごくチープに映る。。それはお隣の受験大国?韓国を見て、教育というものが何か、考えて欲しい。

少なくとも、素晴らしいものに違いないんだよね。

シュタイナー教育が良いって言うつもりはないが、先生が素晴らしいかどうかって、ひとつの鍵であって、シュタイナー教育はそれに霊的なことを加味してある、ってことだよね。

ちなみに日本では岡田茂吉も、子供の知的早期教育に否を唱えた人物であったことを書いておく。

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