呪いと厄年の考察(④:右肩に顔認識するアザが出る)

呪いについて、もう書くことがない、と思った矢先の今朝、深刻そうに驚いた顔で『右肩に引っ搔き傷があるけど、気づいてる?それ女に引っかかれた?』と言われた。

赤いから真面目に強く言われた。そのだいぶ後に写真を撮った。
写真を撮っている時、驚くなかれ、このアザに顔認識マークが!
どこをどうみても顔には見えないのだが、最近の呪われ具合を考えると、ドンピシャなタイミングだ。まさにこれが顔だったらテレビに出演できそうだが、恐らく指の形だろう。

言っておくがバッグなんか肩にかけてないし、アザになるような事は全く心当たりがない。であっても、自分はまだ信じてはいない。アザのなり易い時期とか、夜中に凄く手を伸ばして無意識に掻いたとか、こんな単なるアザで判断を下すのは笑える。

だが別で心当たりが。それが何か関係しているかもしれない。

特定の女の呪いなのか?それとも?

これは普通に考えて、性行為中に付けられても良さそうなもの。

発見した本人はいきなり「女の引っ搔き傷」と述べたのだから、そういう直観がしたのだろうし、アザ自体はそう見える。

心当たりというのは、異性の呪いかもしれない、ということだ。

私的総合的に考えると「性行為・異性」に関係するものだろう。だが考えてみるがいい、『で、そんなアザが浮かび上がったところで、そんな呪いの被害ってあるのか?』

呪われる結果がアザであれば、呪われても痛くもかゆくもない。
そんな馬鹿げたことはないはずであり、何かの兆し・印画では?

女性に心当たりがないw

まず現在、女性に心当たりがないことを言っておく。
悲しめた女性って一体、いつまで過去を遡れば良いのか。

ただし、1回、呪いの手紙をもらった事がある; 遥か昔。

だから時間軸を遡れば、今の事でなくとも、呪いは有効なのか?
何か過去を回想すると、謝りたくなってくる。もし機会があれば失礼をした人に積極的に謝るべきだ、贖罪すべきと思った。

ただし別の感覚を感じる

現時点で感じるのは、そんな点の話ではなく、もっと別の疑い。
こういうものじゃないか、というように感じたので書いておく:

そもそも厄とは、色々な事に困難が起こるけど、自分の触れて欲しくない領域には関係なく満遍なく総合的に訪れるものか、
つまり感じるのは、あまり幸福になれないように、分を超えた楽しみや悦びを得られないようになっている、ということ。

その制限が常にある。何かに閉じ込められている、縛りがある。

トータルで人間の運が管理できるのなら、大厄を起こす運とベースの運は違うもの、という推測は当たってないのではないか。

正直霊界の事なんかわからない。機械でもブラックボックスの仕様を推測したところで、意味がない。一応、今回変なアザが出た事に関して、本気では受け取らない。しかし真摯にあるべきだし、そもそも異性関連の状況をどう認識していくべきか、より慎重に追求したい。何を自分が語られるべきか、何を自分が注意すべきか、自分が良く分かっていない可能性がある。

大厄のポイントとは

今日、技術話題で参考にしたブログで身体的に障害を持ったことが書かれていた。勿論自分も不幸?な事はたくさんある、、が、いつも健康で少し申し訳ない気分になった。不幸って考え方次第で色々解釈できるし、でも感謝はすべきだよね。苦しさがそう思わせないだけで、嫌な事が色々あると、気が滅入るけど、感謝すべき事は変わってない。なんなんだろうね。

誰かにバケツで冷水かけられる、または犬のクソを踏みまくる、そういう連続でも、感謝はベースに無きゃならない。そこに混同が起こると、何が不幸で何が幸福か、わからなくなる。むずい。

で、物事っていうのはポイントがある。コツとか。
大厄にもポイントがあると思うんだよね。ちなみにまとめサイトのような無難な回答は嫌いだ。でも考えてみたけど、人生のポイントもハッキリわからないくせに、大厄のポイントなんて本当に思いつかない。冷静に対処するってのはマジで正しいと思う。

人生の背景は人それぞれ違う。だから個々の対策方法なんてない。でもこういう時にこそ改善しないといけない。

今日見た映画ではたまたまテーマが『贖罪』だった。

そして最近思うことも含めて、『謙虚』『献身』『誠実・親切』というのが、個人的にはキーワードとなり、「青」そのものだ。

若い頃、青がとても好きだった。ある時から赤を基調とするようになり、青が嫌いになった。シュタイナー系のバイオグラフィー講座では、人生の時期を色々分析するようだが、もしかして若い頃の感性に戻らなくてはいけないのかもしれない。

天が何を求めているのか

大厄のことを考えていたら、結局は人間というのは、天の意志などわからない。

 

 

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