言葉が終わる時

世界を引き受ける。

誰が何をしようとも、分野が違うだけで、

意志と想いを問われている。

世界には限界がない。限界があると思うのは間違いなのだ。

僕の意志を見たい。そう世界は思っている。

聞き耳を立てた精霊たちは、僕から何が生まれるか、驚きを持って見る。

だから、僕は見せるのだ。

幾千もの想いをどう行為に現すのか。

今日ひとつの結論を得る。

結果を受け入れ、その反省が目安となり、過去を振り返る。

自分は最高の光で到達できなかったこと、怠惰だったこと。

そしてそれに気が付かなかったこと。

問題は常に自分自身にある。世界は自己の贈り物を十分受け取れただろうか。行為に、最高の想いを込められたのだろうか。

言葉が終わる時、体から意志が浮き立つ。

本気である時、そこにもう言葉がない。不要になる。

あれこれの事をやってきた。複雑なことだ。そこには知恵が要る。

だが、本当に大切なものは、想いだ。本気であること。

魂は何に向かっていくのか

従順、に関連しているかもしれない。

何かを変える、というよりも、想いを行為に込める、ほうが、高級だと思えるのだ。

何かを変えるよりも、自分が変わる。相応しい想い(光)の度合いに達するか、否か。

情熱ではない。宗教だ。何らかの具体的な行為ではない。

何らかの具体的な行為の中で、どう自分を込めるのか。

神道のチョンに含まれたもの、

それは想いを込める、本気である、という答えにしておこう。

それ以外の事は僕にはわからない。

 

QR Code