夢がない

スイスから日本に戻って一般の会社で働いた時のこと。

とても周りの人間がつまらなく思えた。魅力がない。
自分は30代までアジアやイタリア・ドイツ・スイスとある程度好きなことをしてきたし、運命に感謝していた。

独自の世界観もあって、シュタイナーやニーチェ、それに岡田茂吉やその他、九鬼修造など、自分の中身にしようと生きてきた。例えば「アルケミスト」なんかは地で共感する生き方だ。

だから若い子に会うと、自分を重ね、色々と話すのだが、「さとり世代」と話す時、注目するタイプの人間に惹かれるようになる。

夢がない

野心がある若い子もいるし、そのとおりに実現して欲しいと思うんだが、一人だけ、「夢がない」と言う女のコの会った。

これは僕にはあらゆる意味で衝撃だった。夢っていうと一つや二つは持っているものだ。その野望だけで生きている子も多い。

一言言うと、彼女は容姿にも恵まれ、性格も控え目で、僕らはいつも少人数で楽しくランチをしていた。僕は彼女が過去に傷を負ったから、夢を追わなくなったのだろうと勝手に察した。しかし彼女は夢を追わなくても、楽しく生きており、恵まれており、そんなこと現状で必要ないとも思わせた。ハッキリと夢を否定するなんて、僕には異次元の人間だった。

誰しも、もともと夢を持っていない人間でも、環境の中で、自分はもっと価値があるとか、色々な変なフィルターで、夢を持ったり資格をとろうとか、変な方向に行く人なんてザラにいるわけで。

数年後、自分が夢を持たない人間になっていた

まさか自分も夢のない人間になるなんて思わなかった。

というか、どーでもよくなってきてるのがわかるw

勿論、自分はある程度、40代でも50代に面と向かって説教する判断力とか、常識力やコミュニケーション力も付いてきている。器用に立ち回ったり、周りの意見をまとめたり、そこそこ有用な人間になったのだろう。

でも反面、やりたいことがない。特に。無意識・意識的には勿論、どうふうに振舞いたいとか、ある。そういうことはしたくない、とか。無気力とも言えるのだが、「こういうふうにやると面白い・有意義だ」というのもあるし、一つの事にも十分熱意を持って集中できる。でも主体性が薄くなっている。

水みたいになっている

水商売という言い方があるが、岡田茂吉とかからすると、水とは思想的に言うと、女性というか、実体がなく、周りにあわせる能力である。

水商売とは悪い言い方でしか使われないものだが、言ってみれば「その日暮らし」なのだろう。星野源の歌詞で最近共感するのは、「生活しかない」という割り切ったスタンスである。私も昔は偉大な研究のため、と青春を消費してきたし、「生活しかない」なんて言わなかった。

しかし今自分が思うのは、何をしても同じ、というか、馬鹿らしくて何もする気が起きないというか、無駄な事・無駄な生活・無駄なエネルギー、そういうのが馬鹿みたいに思う反面、それが有意義でも、ある観点からすると無価値なのだし、面白くもない、と思うようになった。

そうするとどうなるか。主観的に楽しければ良い、というようになってしまうw 勿論社会善とか、理想とか、とても良いものなのだが、生活の方が意味があったり、出会いが良ければそれで良いようにも思える。

はーい、それ面白そうなので、自分がやります

日本人とかの感覚からは、もうズレまくっているのかもしれないが、非常にライトというか、適当というか、自分がやろうと、他人がやろうと、誰がやろうと、どうでもいいとか、ある程度は理に叶えば、同じじゃん?

最近、起業とかにも興味はあるものの、誰がやっても同じなような気がするし、楽しければそれで良いような気がする。何というか根性がないようにも見えるし、根性よりも無駄が嫌いというか、でも根性ある人よりも滅茶滅茶熱心な場合もあって、もしかしたら冷めやすいというか、最初からクールがベースで、研究熱心でもあるのが自分に近い。

楽しいのが一番

今日のテーマは書きながら何かの結論を得ようと書いてきた。

というのも自分がやや分からないからだ。人間という複雑なものをまとめることができるなんて思わないが、自分を見て何か足らないものを補足できないか、と思った。

夢よりも「楽しい」ほうが良い感じになってきているのだろうか?

あと最近少し思うのは、人間というのは口で言っていることと、本心で思っていることには差異があって信用してはいけない、ということ。ここで言いたいのは微妙な差異であり、大きく違うっていう場合ではない。

相手の言動を信用するのが、本道であるのは間違いないのだけれど、人間はたとえ嘘はいけないと掲げる宗教をしようが、何だろうが、相手の口から出るものを素直に評価すべきではない。大きく言うと、相手の無意識とか性格形成も含めて、総合的に判断すべきだ。

すごくありきたりな言い方になってしまったが、「優しさ」というべきなのだろうか、素直に相手の口から出ることを受け止めるのは害であり、毒であり、その害を無効化するためには、最初から優しさで、対応すべきなのだろう、ということ。相手にも良くないような気がするのだ。

多くの人間は嘘をついている

これは仕方ないことなのだと思う。勿論自分を棚上げするつもりもないが、どうしても個人というのは虚勢を張ったり、表裏ができる。自分だってブログを書いて都合の良いことしか言わない。当たり前のことなんだ。

そうすると7割嘘を言う人はすぐに嘘つきだとバレるけど、8割は本当の事を言う人、本心で行動する人は嘘つきだとは思われない。だけど、よくよく考えると、あとの2割が微妙な人って結構多い。

その事に対してどうこう言うのは大人じゃない。仕方ないのだから。
でもやっぱり嘘なんだよね。言わない人が偉いとも思わない。ビビッて何も波風立てない人のほうが、僕には信用できないのだから。

社会を若い側から見ると、理想主義から見てしまうけど、40代位になると「多くの人は嘘を吐いている」とハッキリ言えるようになる。そしてそれが仕方ないことだし、その責は問えないし、やっぱ「弱い」んだよね。

誰も他人の弱さを突っつきたくない。まぁ、いいでしょう、8割なら、っていう感じがする。そして気持ちが楽になるようになるには、どうすれば良いのか。できるだけ嘘を吐いたり、虚勢を張らないようにするにはどうすれば良いのか考えてしまう。楽しいことをしていれば良いような気もする。

本心とは?

今日のうまい落としどころを考えてみる。人間の本心ってどこにあるの?っていう話。誰しも人に言えないような「妄想」wとか、色々あるかもしれない。それって夢に直結する話なんだよね。

実はそっちのほうが面白いんじゃないかって。

だってリアルだもの。

たかが知れてるんじゃないのかな、人間って。

色々イイワケを考えてみても、無駄なんじゃないかって。

つまり、欲。欲望だw だけど、程度というものがある。

ギトギトした生き方って好きじゃない。そういう人も周りにはいるだろうし、でもそれが古い生き方だとすると納得もできるよね。

さらっとした欲望?欲望から距離を置いた欲望?

今日思うことに一番近いのは、やっぱり欲かな。夢みたいな欲。

あんまりリアル過ぎると駄目かな。つまらないし。

深層心理っていうものかもしれないし、みんなハッピーでそういう深層心理が満たされれば、一番なのだろうけど、そういうことには現実はなっていないようで。もしかして現実のほうが遅れているのかもね。

古い価値観がそうさせているだけであって、心では別の選択のほうがベターだったりするかも。

人生が面白いって感じることが、やっぱ大切だよなぁと思う。

そうでないと価値がないんじゃないかって。

やりたい事がない、なんて言ったけど、それも本当なんだけど、自分の夢想みたいなものへの余地っていうのも、一つの楽しみなんじゃないかなと思える。隠れて楽しむっていうのかな。そういうのを意識化するってのが、ギトギトする世界観になるんだろうけど、ギトギトはしたくない。自分の夢想を客観的にして、聞いてあげたり、橋を渡したりするってのも一つの能力なのだろうか。

夢じゃなく、夢想ってことかな。それでいいんじゃないかな。

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