さらば日本、2015年夏の想い出と2016年の参院選

僕は欧州長期滞在から帰国した時、日本が馬鹿みたいに見えた。

テレビでは食べ物ばっかり写しているし、日本自画自賛番組の品性の無さは、長期滞在後に帰国すると超キモい。その他の事も、大抵は見下していた。(今でも普通に見下す部分もある)

戦争以前の日本は、大本教の影響もあってか、本当に「日本は神国」だと皆が思って(信じて)いたのだし、僕も神秘学をある程度知る人間として、これは頭からは否定はしない。

それが1つ。つまり集合意識的な「自己ヒイキ」だ。
そんなものはイタリアに行けば幾らでもあるし、彼等はそれを楽しんでいるから嫌みがない。でも自分の民族に対する盲目的な過信はやや仕方ないところもある。

でも色々見てくると、日本人ヤバくね?っていう所もあります。上記に挙げた日本絶賛番組なんかも馬鹿過ぎて可愛いものです。そういう日本人なのに日本人ヤバいっていう、見下す部分がありました。嫌いな部分は誰だってあると思います。これが2つめ。

海外云々によらず、いつも①「盲目的なヒイキ」には気をつけているのですが、②「日本人ヤバい」の部分でこれまでは、日本人一般と自分は距離を置いてきました。

何かが変わった2015年夏

2015年の反戦争法運動や特にその報道を体験し、もはや日本という国が、他人事ではなくなりました。①や②で日本と客観的に自分と距離を置く、という立場ではなくなりました。

しかしまた欧州に行かないといけない。複雑な気持ちです。
日本を見下すという気分はもうありません。単純に言うと心配で、次の世代が無事に育ってほしい。次に帰国する機会もあるかもしれませんが、今の日本の状況がクソ過ぎる。

政治に本当に関心を持ちたくありません。問題はマスメディアでしょう。テレビ離れが進むのは、人類の健全な本能ではないかと僕は推測しています。国民のサイフを持つゆえに、ゾロゾロと民間企業が政府に金魚のフンのように引っ付いていきます。地方の社長を見ていると、助成金ビジネスが横行しているのが手に取るように判ります。派遣法が改悪されるのも竹中がパソナ、麻生も派遣会社を持つように、政治家が私腹を肥やしていることが明らかです。

そもそも顕著なのは小泉が郵貯を切り崩したのも、そういう国益が海外に売り飛ばされているからです。そういう売国を察知する市民は「自分の国がヤバい」という意識を持って当然です。

それもNHKを筆頭に、マスメディアがクソだから起こるのです。
世界で先進国としては低い報道自由度なのも当然でしょうね。

選挙というシステムは非効率か

政治に関心を持っている人、どれほどいるのでしょうか。政治に関心を持つということは、それだけ時間を割いているという事です。多かれ少なかれ勉強しています。

次に政治に関心のない人も投票所にやってきます。その人と政治に関心を持つ人の票は、同じものです。でも政治に関心を持つ人は生活の一部を犠牲にして勉強しています。ということは、政治問題に深く取り組んだり、マスメディアの異変を調査したり、アンテナを貼っている人の労力と時間は、努力すればするほど、効率が悪くなるのです。

そこにメディアの演劇が始まり、争点もかき消され、俗にB層と呼ばれる人を如何に動かすか、しか問題にならないでしょう。

メディアに誘導される政治

僕はアベノミクスは全く争点ではないと考えています。世界経済が停滞しているのに、日本が一人勝ちできるわけがない。製造業が落ち込むのも、消費が落ちているのも、モノが溢れ過ぎているだけです。それは昔からショーペンハウアーですら指摘していることです。全ての家庭に洗濯機があるのなら、買い換え以外の需要はありません。それ以上作っても自分達の首を絞めるだけです。つまり生産調整的な自然原理が働いています。

2015年から驚いているのは、もはや政治家は表情を変えずに嘘を吐く、ということです。呼吸するように嘘を吐いています。一体これはなんなのでしょうか。まだ舛添要一都知事のほうが、人間味があるというものです。細かい私物を国のサイフから出すセコさなんか、トルコなどに巨額の原発を売って自国民に周知させずに平然としていることに較べれば、ほとんど問題ないでしょう。自民党という得体の知れないものが、ロボット化し、TPPや戦争法のように、最初の1秒から嘘をついているシーンが当たり前となっています。そしてそれにツッコミを入れないマスメディアとは、何なのでしょうか。

僕は政治に関心がないですから、印象的な例では小泉の自演ですが、自演と言えば、イスラム国詐欺、911(自衛官から情報)、昨今のテロ騒動でしょう。

というように、政治やマスメディアとは無関係の常識のほうが、よほど正しい結論に至ることがわかります。

テレビという箱は、一体なんなのでしょうね?

放送局が数社で独占されているということ自体、思想の自由を侵害するものです。大資本しか参入できない状況、外資が違法に株式を持っている状況、電波帯を独占する仕組みも人為的です。

もし人間を不自由にしたいのなら、ピラミッドで管理すべきでしょう。そしてピラミッド型は常に資本と政治が前提です。
資本と政治があれば、人間の思想さえ支配できるでしょう。

そうでないとすれば、YouTubeやP2P型でしょう。

最後に

あれこれ書きましたが山本太郎やSIELDsのような市民寄りの政治運動を目撃できたことは、本当に日本の光を見た気がしました。

反安保は一過性のものです。しかしそのアスペクトを通して、日本にもまだマシな人達が居ること、非常に苦労し必死で政治を監視しているツイッターがあること等々、日本人=カッコ悪いというレッテルを貼らずに済む自分がいます。そういう目で見ると、日本人の多くの言動は、ほとんどゴミのようなものです。(オウムのような当たり障りの無い合唱。核心を突かない分析。口から出るものに刺がないとしたら、阿片でしかない。)

堤ミカや苫米地英人などは、海外感覚を身につけながら、献身的に日本を異常な位、防護しています。

一連の2015年夏の体験以来、日本と距離を置く気分はなくなりました。もはや日本の政治状況に口出ししたくありません。そして日本のメディアを見ないのも、本当に清々した気分です。僕は個々の下らない政治劇に付き合いたくない。でも良き日本人、頑張れ、と言いたいです。

どちらにせよ世界でも同じような病気が蔓延しています。現実には善人か悪人かしか居ません。でも善悪は人知には分かりにくいものです。政治などでは世界は変わらない、圧倒的なスピードで改悪されても、です。それよりも人間の心のほうが大事に思えます。目立った改革よりも、目立たない人間的な信頼を拡げたほうが、もしかして大きな力になるかもしれません。数の論理よりも質の論理を優先したほうが、リアルな人生に良い影響がありそうです。

明日僕は投票に行きますが、これが最初で最後の投票でしょう。
結果はどうなるにせよ、いやどうなっても良いとさえ、思い、見守りたく思います。楽しみですね。

一般人に馬鹿にされた宗教が最後の残光(組織票)となって、生長の家、真光、創価学会、など、安倍政権に力添えになっている事も、皮肉でしょう。(生長の家本家は、自民党支持ではありませんが。)

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