祈りの希釈化

先日とりあげた、故・西川隆範先生の新しく再販された本を買ってみた。
読んだ事があった;借りたのかも。

この『天地の未来』(R.シュタイナー著)は、勿論、3.11や地震、そして戦争などを考えるにあたり、参考になるけれども、特に私的には今回、特に重要に思えたのは、昨日、NHKの「新・映像の世紀」を偶然、観たからだった。。

NHKスペシャル 新・映像の世紀 第1集 2015年10月25日

https://www.youtube.com/watch?v=UiyLRoNrJYI
(↑  *動画投稿サイトなので、消えるかもしれません)

正直、最近まで真剣に考えてきた世界経済や平和問題などの総集編のように、この番組は私に衝撃を与えました。観た後、1時間位呆然としました。(後、キリスト明視を考え、聖書を読み寝た)

本日読んだ『天地の未来』はシュタイナーがそのような時代に生きた事をまざまざと感じながら読んだが、一方、思う事がある。

それは今年の夏から戦後70年を考えてきて、戦争法デモを考え、日本や西側の偏向報道を危惧し、TPPでジャーナリストの奮闘を見て、社会学者自身が日本を「クソ社会」と呼んだのに納得し、 シュタイナーの『天地の未来』が私に思わせたのは、

一切の「言葉」が古い。

何か政治も歴史も概念も、何もかも「西側の古い虚構」のように感じた。自由、平等、理想、等々。そもそもがプロパガンダのように空しく響く。

シュタイナーは本の中で、ハッキリと、ドイツ中欧が到達した哲学の子供は、スピリチャリズムだと断言している。

これを聞くことほど、空しく思うことはない。何故なら自分はずっと人智学や岡田茂吉のような精神主義を自明のものをして受け入れているのだから。よって社会的な運動や思想自体が、西側の外皮を取り上げている以上、全ての闘争の意味が、古いように思えた。

あらゆるニュースも、原発も、デモも、金融も、反戦すら。

一体何という脆い基盤の上に、思想や運動やニュースが浪費されているのか。現実というのはどこにあるのか。そこに現実はないと思います。このシュタイナーの本でいうと『祈りの希釈化』のようなものです。

私たちの前に数多くのニュースが流れています。それは生々しいもので、「現実」です。しかし良く考えると、古い説明や煽動に関わることで、「非現実的」なものが多いでしょう。

多くの問題や報道を追って行くと、非常に局所的な利害に関わってきます。国際政治、金融問題、権利とかシステム論等々。そこに登場するものの概念は西洋由来の多くに関連しています。そのような数々の古いものから、どうやって「スピリチャリズム」が関与できるというのでしょうか。

シュタイナーは一次大戦後、社会3分節論を説きます。今ではベーシックインカムがEU,日本,USでTweetされています。ですが、私的には外的なものです。内面の努力、内的な充実、感動、精神性、そういうような真の具体的、普遍的な「スピリチャリズム」が、例えば個的なカルマを促進する位にならなければ、真実ではないと思います。そういう意味で、「現実とは何か」に回答が与えられるものを『有用だ』と判断したいと思います。

 USがシュタイナー没後、多くの霊的成果を得たと思いますが、特にこの秋、FRBや国防省が移動し、中東ロシア中国EU日本に変化があったとしても、私はもう何かコメントに値する内容はないように思えます。ハワイなどのUS西地域は特別の霊地区ですが、それがどう自分に意味があるのかも判りません。地政学的に何かあったにせよ、具体的・普遍的な「スピリチャリズム」に有用でなければ、(つまりシュタイナーが言うようなキリスト明視の時代が到来しなければ、個々の魂が独力で自分のカルマを解消に持って行けなければ、)何らかの『魅力』に到達できないのではないか?と思えます。

例えば、歴史的に共産主義とスピリチャリズムが同時に生まれたというのもそうですが、今、USで生まれた「スピリチャリズム」はどうなってしまったのかは、疑問に残ります。交霊主義に自分は魅力を感じませんが、今言えるのは、シュタイナーが言う『カルマ認識』が人々の間で現実的になり「自分の今の人生をより有意味に認識してゆける」というような、共生主義や霊的共感主義にしか興味はない、という感じです。それにより「生きる価値」が内的に確かである、というのが幸福に寄与できる社会性だと思う次第です。

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