情報操作を見抜く情報分析とは〜海外メディアのソース選択〜

日本や海外で情報操作を色々考えてくると、メディアが○○系などで政治分析で異なるのが判る。例えばネット上のニュースも出所がロイターだったりして、私は全然信用しない。日本のメディアはそういう意味で情報操作が分かりやすい気がしてきた。

わたしは独自のオタク?として、アメリカの進化に注目していて、オバマ大統領は歴史上、極めて注目すべき流れに乗っていると思っている。今回オバマ大統領がアラスカを訪問していて、マッキンリーをデナリと改名したニュースも、ひとつの歴史的な”サイン”だと思っている。

ただ”情報操作”を逆読みする方法として、メディアを比較しなければ逆読みしようがない。いくつかのニュースの流れや世論を比較して、誘導を発見するには、ニュースの出所・個人を色づけしなければならない。英語でのニュースを分析する必要がある。

Buzzfeedなどのアメリカ国民の関心の動きなども、とても重要に思うし、情報を取り入れる良いサイトを探している。誰かアドヴァイスがあれば教えて欲しい。

あとニュースや世論で思うことは、”人物”だ。
例えていうと私の場合は、竹中○蔵という人物が情報を発信する場合、ほとんど逆読みしている。だいたい国家を売ってきた人物は要注意だから分かりやすい。逆にいうと、信頼できる個人、情報分析力の高い個人ブロガーや個人思想家は、”○○新聞社の適当な見解”よりも価値があるように感じてきている。基本的に情報操作に無頓着な人よりも、信頼性としては格段に高い。常に産業界や○○の利権をすぐに見分ける事ができる人は、かなり情報識別能力が高いのではなかろうか。だからそういう人を見つける方法それ自体が欲しいと思う。

この点、大手報道メディアは個人が自由に分析できないので、なかなか信頼できない。残念ながら。

今まで匿名でニュースを裏読みして掲示板などに書き込む時代だったが、今後は優秀な個人を、各自でフォローしたほうが賢明なのだろうが、それすらちょっと面倒くさい。

情報が信頼できない時代って、本当に面倒だし、効率が悪い。
ハザードマップならぬ、「人と情報ソース」の色分けを”自動化”できないか(笑)

本当は”新聞自体”がそうなれなければならないが、ネットを介して色々な情報と接すると、そういう公共的なサービスこそ情報が入り乱れて怪しい。特に政治や金融や産業に関して。もはや集団として情報に責任をとるというよりも、個人で情報に責任をとる時代に入って疲れてしまう。

情報対して意識的に武装された人が集まればもっと楽に、かつ、情報操作されずに安心した情報を得られるのになぁ、と思ってしまう。結局、顔の見えない情報、出所まで捕捉できない情報が危険なのだから、「言い出しっぺ」をハッキリさせれば、誰が情報を操作しているか、すぐに判るはず。

今回の憲法改正も、アイディアの出所をハッキリさせて、あいまいな恐怖論を煽らず、出所を特定すれば良いだろうに。「天皇が元首になる」というアイディアは、誰のアイディアなのか責任を持って討議すれば、見える化できるし、安心だ。(もし買収されていないのならば) 昨今官僚が責任を取らないことが指摘されているが、これも情報ソースを開示するという意味で一致している。

為替や経済のニュースなどは、政治のニュースよりも全然信用できない。だから”事後”のニュースだけは信頼できる。予測があまりにも「使えない」ので、常に裏読みすることが強いられる。

占い師だって、当たらなければ信用されない。私は占いは信じていないけれども、”うらよみ”が当たる人は信用できる。為替や経済理論は占いレベルだが、政治や産業利権はうらよみが期待できるレベルにある情報だと思う。

ニュースそのもの、政治情報そのものが、安心できないほど劣化してまるでお祭りだ。そこから霊性・精神を汲み上げなければ、ニュースそのものにあまり価値がない。つまりまともに対応していては、いつか消耗する。だから、真面目にニュースを配信していることが、受け手にとって迷惑になりかねないと思う。

騒ぐのは誰でもできるからね。。日本には色々な分析家・裏読み屋が居てもいいように思うけど、そういう文化そのものがないのか。

昨今、変な説を言うと全部”陰謀論”wと片付けてしまうが、そもそもオリンピックひとつでも、今どれだけ産業界がズブズブなのか誰にでもわかるのだから、社会がもっと疑う気質を持たないと、税金が建設屋や軍事産業や国際投資家にタカられていく構図が出来上がる、と。

そこから個人がさらに霊性や精神を拡大できるのかを考えると、ちょっと無理。やはり人間は裏読みするのは本来的な生き方ではないのだから、ニュースという情報の脇で霊性を発見するしかない。如何にも価値がある、という風にニュースは報道されるが、 個人の霊性の発展には程遠いことには、何ら変わりはないんだよね。

ある意味、新聞やニュースそのものが考案された害毒であるように捉えても、決して行き過ぎではないように思う。情報の洪水によって、精神生活の一部が切り取られ消費させられるのが、当たり前ではない。情報に精通していなくても安心して社会参加できることのが、良い社会ではなかろうか??このへんに、西洋で発達してきた社会生活の”常識”に虚構を感じてしまうなぁw

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