秘密結社と太平洋戦争 〜日本と人類のカルマ〜

昨日まで戦後70年ということで太平洋戦争をテーマに書いた。

私には結局のところ、太平洋戦争時の日本はいくつかのカルマ的な再現であるように思えてならない。結局日本民族と世界とは何であるかという、問題になってくる。

先日「祭祀国家」としての日本が、マッカーサー(フリーメイソン)に敗北する超世界史的な事件が、太平洋戦争であると書いた。

しかし幾つかのカルマ的な伏線が日本にあるように思えてならない。それが『世界を解放する日本』であり、秀吉が失敗した朝鮮出兵の再来を思わせる。今一度だが、私の歴史イメージはこのようなものに似ている。織田軍がすでに毛利と戦っている時期に、秀吉は「織田が明国を攻略する意図」を明かしているのは事実。

もし信長が本能寺で細川氏の意図的な反乱により、死亡していなかったのならば、確実に世界史は信長の天才性によって大きく変わっていた、というのが私の密かな笑いだ。もう10年前にふとした情報を知ってから、私は戦国の見方は変わった。秀吉も信長も通説のような人物ではないように、思う。秀吉は商人であり、信長は神官である。その集団が日本を変えた。秀吉が失敗したのは信長の霊性インスピレーションを理解できなかったのだと思う。

その当時の状況をもう一度確認すべく調べていたら、たまたまこの記事に行き着いた。「サン・フェリペ号事件」である。これで先日の『元米陸軍情報将校が解明した真相-原爆と秘密結社-』と見事につながった。軍事上何の価値もなかった長崎の郊外に原爆が落とされた理由は、”まさかのキリスト教”に原因があるなどと誰が信じよう?と最初は思った。

状況を整理してみると、こうである。秀吉がバテレンを追放した真の理由は、当時、日本人が奴隷としてスペイン/ポルトガル交易の対象となっている事実に激怒した、というのが本当のところである。当時のイエズス会は、ルドルフ・シュタイナーが指摘するように秘密結社として、秘密知識を占有する活動体だった。オカルト集団の狙いはおそらく、スペイン/ポルトガル国王とは違っていたと思うが、表面的には世界支配である。ともかく秀吉はスペイン国王に、服従を要請する書簡を送っているのは事実である。

そのイエズス会が工作活動したので、敵対するフランシスコ会派の26名が長崎で処刑された。

その事実をフリーメイソン(等の秘密結社)は忘れてないのである。だから長崎に原爆を落とした、と見るべきで、『元米陸軍情報将校が解明した真相-原爆と秘密結社-』の著者は、単に戦後にキリスト教が拡がらないように原爆を落としたとしているが、それは間違いであるように思う。ともかく長崎の浦上天主堂が原爆の標的なのは間違いないように思うし、その理由はこういう記事でもわかる。

ルドルフ・シュタイナーは「世間の見解がフリーメイソンへの正しい洞察を得る事は決してない」という旨の発言をしているが、当時の宗教的集団はすでに君主権力を動かして、世界制覇を目指しているのであり、織田信長の海外出兵の狙いは、その阻止にあったと私は確信するし、現に10年前にそのような情報を得たことがある。(今はその情報が消えてしまっている)

つまり太平洋戦争でオカルト集団が原爆を実行したのも、戦国の世で日本がイエズス会等に狙われていたのも、同じような事に属すると思える。

ここで誰が日本の敵だったのか、で言うとイギリスであるように思う。イギリスはスイスを開拓し要塞化した。スイスに住んだ事があるので、それはわかる。スイスを観光地化したのはイギリスである。シュタイナーも述べているとおり「フリーメイソンを各地に産んだのはイギリスのロッジである」述べているが、イギリスが結局のところ張本人であり、日本人の性質とかなり異なるように思う。海外で活動するイギリス人の図太さを目の当たりにすると、その根性は中国人を凌駕していると思う。織田信長の時代、アメリカはまだ無かった。

私がこのブログでアメリカに何度も注目する理由は、アメリカがフリーメイソンによって建国されており、結社そのものの地政学が、今この時代に結実しているからである。

結社はアメリカの地を選んだ。スイスにも防衛拠点を設けている。それは日本よりも地政学を知っているからである。ルドルフ・シュタイナーが指摘しているとおり、コンスタンティノープルが陥落した時、結社はユダヤ人から大量の古代知識を買った。その時からこの世界的結社が誕生している。

イギリスが源流となっている世界潮流は、支配を目指している。ヨーロッパの君主(すなわち大名)が次々と民主化によって利権を剥ぎ取られ、実質的な権力は”銀行家”の手に渡った。それが彼らの世界調略であり、民間武力の支配から、国家統治支配へと形を移したので、実質的な支配者は傀儡的な首相や議会となり、権力を分散させることによって、彼らの闇の支配は成功をおさめた。

それが今日の議会政治である。民主化とは、力を持った頭領を根絶する”平等”という偽りの支配方式である。議会を支配すれば、マスメディアを支配すれば、脅威的なものは居なくなる。民主主義をこれほど誇張するのは、西側世界そのものが過去の君主政治に戻らないためであって、決して平和や平等のためではない。

如何に色々な理屈を付けようとも、彼らの戦略に世界の全民衆は騙されているに等しい。共産党も彼らが支援しているのであり、結局は共産党も人間精神の政治形態としては失敗している。

これが”平等”というエサで、現代人が彼らと取引した結果だ。

日本がアメリカと戦争すれば、何度でも負ける。それは彼等が古代から受け継がれてきた叡智や霊的地政学を知っているためだ。それにアメリカはまだ重要な使命を持っているようにも思う。それにフランス革命を実行して、歴史を支配してきた彼らに情報武装していない日本が勝てると思うだろうか。如何に素晴らしく野蛮な兵器を日本が技術的に考案したところで、霊的な本質を欠いた日本は無力だ。

私は忠や考によって、大名が平和的に支配することも極論的には可能なように思う。為政者のマインドが正しければ、政治形態は多数決によらなくても十分であり、それこそがギリシア人が政治を議論してきた理由でもある。私は議会政治が悪いと言っているのではなく、政治というのはぶっちゃけ何でも良い。例えば中国がかつて提示した徳による政治でも良いと思う。これが古代から人を悩ましたテーマでもある。政治は高貴な人物がしなければならないというのは、全世界的なテーマ。マニフェストは特に重要ではない。

話が拡がってしまったが、太平洋戦争は過去から受け継がれてきた、世界支配の形を象徴する出来事であり、結社の勝利である。結果、日本は世界各地で白人の植民地主義を解消したというのも驚くべき副産物だろうと思う。日本人の多くは世論に動かされ、戦死した事態に陥ったが、結果的には世界に貢献したのだと思う。これが現時点での私の見解であり、霊的カルマ的な見方だろうと思っている。

もし世界史において、日本人の功績として人種差別の解消を挙げるなら、それはもっとも輝かしいものとなるように思う。
岡田茂吉はすでにフリーメイソンに対し、相当の見解を有しているように思う。そしてその岡田茂吉は、アメリカが変わらなければ世界は変わらないと着目している。

戦争反対が今後の世界のテーマではない。戦争に捕らわれていては、正しく世界を見ることはできない。戦争とは、とっくに使い古された過去のテーマである。戦争自体に注意を向け続けることで、大きな流れを見失う。岡田茂吉は次の時代に重要で、今すべき事は”霊性”の発展である、と見通している。

他国とか技術とか、そんなことを言ってると次の時代を見失うことになる。フリーメイソンの狙いは人間の”霊”を、人々から隠し続けることにある。だからこそ科学という学問を発展させ、モラルを低下させ、議論をさせて人間を袋小路におびき寄せる。壮大な方法で、人類に惨禍を与え、その方法を考案しつづける。

フリーメイソンや結社の持つ”知識”こそ、霊的な”科学”であり、それを独占することによって、人間から霊の恩恵を奪っている。

ヨハネ黙示録が最終的に示す世界は、”知”というものが最大限の足かせになって、世界中の人の”霊”が転落する警告である。

科学によって宗教に勝っていると思い込んだ知識人を気取るその姿勢が、後の人類に最大限のしっぺ返しを与えることになる、という図式に気がつかないと、もう後戻りはできないことを霊的な指導者たちはとっくに気がついている。

フリーメイソンは特殊な形で、その恩恵を受ける集団であり、今の世界支配だけが目的なのではない。フリーメイソンの陰謀論は利権や政治にいつも終止しているが、本当の目的はもっと違った形の霊的な構図を未来に準備することである。

フランシスコ会のもとになる、アッシジのフランチェスコ(1181-1226)自身*は自らの団体の将来を懸念したようである。

長崎への原爆が”フランシスコ会員6名”ための報復なのか、またはイエズス会の発案での挙行なのか、私にはよくわからない。ただ400年以上前の日本侵略の失敗を禍根に持つ集団を考えるだけでも、一般的に非常に恐ろしいことだと思う。

 

*『アッシジのフランチェスコのように熱心に霊を求めて精進する人と、工業技術や現代文明の恩恵に熱中する人とのあいだに性向の違いを認めるのは容易である。多くの神秘学者が、将来人類が二つに分かれるのは避けがたいと考えて、頭を悩ませている。実生活に没頭して食物の確保と機械文明に心を労する人間と、アッシジのフランチェスコのように、霊的な人生を送るために実生活を放棄する人間の二種類である。両者の仲裁に入る者がいなければ、人類は二つに分裂していくことになる。』(ルドルフ・シュタイナーDas esoterische Christentum und die geistige Fuehrung der Menschheit)

ルドルフ・シュタイナーも岡田茂吉も、物質主義と精神主義の両方を選択するよう、警告を与え続けた。前者は時代を監視することを指向し、後者は統合的ユートピア像として実践を説いた。

日本人としてのカルマを考える時、結局は表面的なことよりも、もっと世界のモラルレベルを見渡した次の行動を考えないと、単に世界に巻き込まれ、情報の波の中で右往左往するだけの弱い立場しかとれないように思う。

 

 

 

 

 

 

 

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