さとり時代の新しい働き方。 個人が会社法人を(獅子が龍をbyニーチェ)ディスる?w

前に、『さとり世代』のテーマを取り上げましたが、もっと根本的な問題を書きたいと思います。

『労働に対して賃金が支払われると、労働者は自分を商品として資本家に売っていることになり、労働者は人間としての尊厳を傷つけられるので、労働と賃金を切り離す必要がある、とシュタイナーは考えました。』(R.シュタイナー研究者:故・西川隆範氏)

本日もたまたま知人から、「辞めた職場が給与を払わないので、裁判しようと思うけど、やったことある?」と聞かれましたが、まだそんなブラックな御企業があるのかと、2人でニヤニヤしていました。ブラックに程度の差こそあれ、「さとり世代」が世の中にレッテルを貼る理由がつくづくと判るというものです。

「ベーシックインカム」というのを知っている人なら、まだ話は早いのですが、社会的な問題を考える前に、私は働き方そのものに疑問があるほうの人間です。

現在は法人の為に個人がある、というような前提に日本社会は立っていると思います。奴隷ですね。私は個人の為に法人があって良いのではないか?と常々思ってきました。それは労働者=経営者的な発想です。ヨーロッパに居た時は、随分とそういう感覚が育ったものです。日本の空気感はこの点、とても酷いです。空気を読めというのがありましたが、空気そのものが汚染されているw さとり世代の子は、結構素直で無欲な子が多いですから、汚れている空気の検知器といいましょうか、ブラック度合いの良いバロメーターとなる気がしています。

話が逸れましたが、会社ではさとり世代の子と「全国のニート君を雇って起業するかw」というような笑い話をしていましたが、何をするかも重要ですが、誰とするかとか、どういう立場で働くか、というのが大事だと思うんです。例えば、基本は平等の立場で会社を運営するというものです。個人の集団が平等に利益を分配するとか、個人の働き口を保証する為に法人を設立する、というような、いわば、円のしくみ。中心にはリーダーが居ても問題ないと思いますが、基本はみんな円周上の個人であって、利益や権利などは尊重される感じでしょうか。

ヨーロッパで私が遭遇した環境では、会議や団らんは結構平等意識があります。人権というのでしょうか。だから円になって普通に意見を述べるということが当たり前なのですが、日本はそういう習慣は、特に職業社会では、ない、ですね。何故でしょうね?そういう風に、生きてきて、意見交換をした事がないし、馴れていないのではないでしょうか。何か卑屈であるように思います。自分はこう思う、というのをどっかで誰かに気を使っているので、言えないのです。

こんな話をしたくて、ブログを投稿したわけではなく、電通が「平成27年度 創業・第二創業促進補助金」を募集していたのを見逃したなー、なんて書くつもりでした^^;

私は今、在宅でドイツのウェブ関係のジョブを引き受けていますが、アメリカなんかはITだと在宅って珍しくないんです。最近はチラホラ日本にもあるようですが、日本はこの点随分、遅れています。昨年ハワイに行って、セレブな人達にアメリカの事情などを色々聞いてきたのですが、この”在宅”というキーワードはなかなか楽で、通勤もないし、良いと思います。結局日本の個人事業主と同じ事をやっているんですから、働き方に関して、固定観念が強いだけなのです。どこの会社も”外注”しますが、在宅だって社内外注ですから、みんな家で仕事すればいいのにw

さておき、Webの世界ではハッカソン、アイデアソン、等が、アメリカ西海岸から到来しました。これも企業に縛られることなく、個人が威力を発揮するモデルかと思います。

働き方のトレンドを見ていくと、ずいぶん古い価値観でみんな働いているなーと思います。kickstarterとかは良い面を持っていると思いますが、まだ小規模です。Sekai no Owariとかのアーティストを見ていると、なかなか若い世代の力を感じます。

個人のための起業(企業集団)って、社会的にアリだと思いますが、起業するにはネタが要るわけで、難しいところです。

ドイツとかでは「ベーシックインカム」を本気で議論する人達もいるので、意識は高いです。そこまで意識が高いと、働き方一般の議論もできるので、幸せなことです。

社会的な友愛がある環境とか、政治のシステムとか、そういうものを実現するほうが速いとは思いますが、そういう倫理的な意見が育つのに期待はできません。特に日本はそうです。

エゴがどこにあるか。考えるのも嫌になりますが、少なくとも個人ひとりひとりの幸福に根ざした考え方にないのは、すべて時代遅れであると私は考えています。

「創業・第二創業促進補助金」は確か前年度は無かったものです。私も何をするかとか、アイデアは全然ないわけですがw、私の場合は自分の場所にあまり縛られずにできるような仕事が良いですねぇ。

仲間で起業する、ってのも昔から壮年時代の人にはありますが、それは世の中を一通り経験してきたからそうするのであって、人脈とか仲間そのものが限定的です。見知らぬ人と起業するとかは、まだ今の時代はありえないでしょうが、ネットと考え方が発達してくると、それも少しは可能になるかもしれません。どこでも近づきたい人、有能な人、よい人材ってのは居ますから、たまたま自分の周りにいる仲間でなくても、良いわけです。人柄ってやつでしょうか。自分達の昔からの仲間で利益を独占するとか、そういう必要もないわけですし、そもそもその仲間をどれほど信頼できるかというと、意外にトラブルになったりw

Sekai no Owariに出てきた自発的な役割分担って凄いと思いますが、集団での生き方の模索は極めて本来的なあり方です。上手く行けば良いのですが、破綻する人達もいます。ネタで生きるって当たり前に大変ですからね。だけど重要なのは社会的な生き方を自分なりに追求し、先進的なトレンドを捕捉していく意識問題のような気がします。意識が育てば環境は変わっていきますから。

こういうコスモポリタニズムって「さとり世代」には随分適した感覚なんじゃないかな、と私は勝手に思っています。

あ、ちなみにスイスでは50%労働とか、80%労働とか、当たり前なんです。常識というか。それに較べてみて、私の言いたい事は何となく伝わるのでしょうかw 自由や尊厳、権利が誰の手にあるのか、判りますよね? 働きやすい環境って、実は何でしょうね。


(P.s.”ニーチェ先生(大型新人)”というのを今日初めて知りましたが、驚くことにその性格や挙動が私の知り合いである「さとり世代」の子のひとりと酷似していましたw  仏教学部ではないけど、これほど似てるって何? バンドやってるしw  何故ニーチェなのか知りませんが、ニーチェの考え方は個があらゆる権威を否定します。それを『ツァラトゥストラはこういった』の中で、獅子が龍を否定するという下りで語られていますね。私もプライベートでその著書を彼に薦めたんですがw  ともあれ考え方としては個と自由の問題としては今日の記事の内容と合致しています。むしろ私のほうがその彼に影響を受けてこういう記事を書いているのかもしれませんねぇ)

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