時代の空気: マイルドヤンキー さとり世代 女子力男子

「若者の持つ生きる力」を今日放送の『ニュースの巨人』から。

若者研究所の原田曜平氏は、昨年の流行語大賞にノミネートされた「マイルドヤンキー」という造語の産みの親であるらしい。

番組では「さとり世代」、「女子力男子」などの言葉を、時代を分析して詳しく説明している。

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まず「さとり世代」とは若者自らが定義した言葉であり、「ゆとり世代」という(上の世代が与えた)ネガティブに使われる言葉とは違うということ。特に職場では、「ゆとり世代」というディス用語が通用しなくなっている事でも、そして、私はこの世代と接してみて、「さとり」という言葉がふさわしく感じられる事でも、私自身とても納得したし、共感した。なんというか、彼らにはとても愛着や正当性を感じる。

● 日本を離れていた私から観た、「さとり世代」の生きる力

私は20代後半から30代前半までヨーロッパで生活していたので、日本に”空白の時代”がある。日本に戻ってきて、会社員である同じ30代や40代の人と話すと全然新鮮な話題がない。(この人新鮮な発想をしているな、と思ったのは松本人志と爆笑問題の太田。ちなみに何で日本はこんなに食べ物の番組が多いのか腹が立った。) 多分、私は全然違う生き方をしてきて、価値観がまるで違い、とても古く感じてしまう。私は60代〜30代の人達とも社交していて、特にこの前のハワイ滞在ではとんでもない経験・世界観・富裕・行動性を持った人達と交流したが、彼らすらこの若い世代の持つ”有用性”に気がついてないようだった。

私の職場の遊ぶ友人は、ほぼこの旬な若い世代だったし、ハワイでも22歳の子と遊んでいた。友達になる世代が、この「さとり世代」であるのだ。私はこの影響をバブルにまで見る。バブルの悪影響を受けていない新人種が、この「さとり世代」だと思っている。

いつもこの「さとり世代」と喋っていると、驚きを感じるのだ。自分の兄がニートになって家族に迷惑をかけている、とか冗談まじりに新卒の子に相談されることもある。でもそのニートの子の心境を聞くと、やはり共感する部分があるのだ。たまたまニートの境遇に落ちている、ということであり、理解可能なのだ。私はスイスでもニートの年上の友人を持っていたけど、日本のニートよりも悪い響きはない事は理解しているので、日本のニート論に影響されずにものを観ることができる。結局そこに観るのは「生きる力」なのだ。

もちろん「さとり世代」と言っても、色々なタイプの子がいるから、一概にこう、と言うことはできない。でもそれを差し引いても、驚きの念を感じているし、その「生きる力」に共感を感じるのだ。私はそこにバブルの悪影響がない、「純粋さ」を観る。

●「さとり世代」の純粋な生き方を捉える私の接し方

「生きる」ということを考えると、私はこの世代との関わりに多くの成果物を観る。「いき」の構造(このリンクは無料の青空文庫)は私がスイス時代に好きになった本のひとつだが、こういう社交性、社会性でいう「生きる」ことは、おもしろい。彼ら「さとり世代」は自分の社会性を変化させた。自然な発達と観ていい。彼らと「いきる」のはとてもスリリングだ。彼らには時代に負けて欲しくない。

『生きた哲学は現実を理解し得るものでなくてはならぬ。』とはこの本(昭和5年)の著者、九鬼周造の”第一声”である。この本をもう私は読み返したりしないが、私の血と肉になっている。「さとり世代」という言葉を繰り返すよりも、さとり世代のおもしろさと共感性を理解してほしい。いかに楽しい会話ができるか、古い世代の人は理解していない。意味深い話も、彼らから引き出すのであり、会話はリードしなくてはならない。なんせ友達のような”先輩”なのだから。毎日がこの意味で思慮深さが必要な、大胆な”戦場”ともいうべきものである。私は退路を断って彼らと話すし、彼らのいちいちの言葉を記憶し続けようと思っている。

ちなみに私は海外で育った若い世代も見ているので、別に日本の「さとり世代」だけを見ているわけではない。職場で勘違いする人がいるが、仕事だけで先輩面する時代はとっくに終わっている。日本はそういう意味で愚鈍な環境だと思える。彼らの若さから出る「目に見えぬ触手」を見抜き、”活力”を与えるような話題を振ったり、しみじみといっしょに考えたり、と常にバブル世代とは別の視点を持つように、面白可笑しく「生きて」きた。だから可哀想だが、彼らに教師はいないように思える。彼らは自分で悟らざるを得なかった世代。彼らがあと10年して、「目に見えぬ触手」で何を得るのだろうか。これが彼らより20年も年上の私が、持った感想だ。

でもやっぱり彼らと共有するのは、挑戦であり、別な観点であり、面白可笑しく「生きる」こと。良い思い出を残すこと。「生き方」は個人の問題だと一般的には言うけれども、私は”否”と思う。それは伝染する。自分が自分のために「生き方」を貫いたとしても、それは自分のためだけじゃない。社会を観察すると、「生き方」も廻り回って、他人のためになる。

ニーチェも九鬼周造なども、そう語らざるを得なかった者。他人を洗脳したいためではなく、ただ自分のために”宣言”しているのだ。

さとり世代には『頑張れ(ハート)』と言いたい。どうせ世はサバイバルなのだから^^  映画『バトルロワイヤル』のような「頑張れ↓」じゃあないw  ニートの子も、夢を抱く若者も、「おまえは正しいんだ」と。さらに言うと、バブル世代が産んだ国の借金は「お前らバブルの人間が返済しろ」位言うのが良い。本当に。

●私の懸念:今後のさとり世代と地球文化

1点、気になる事がある。現在の文化状況は、もう新しい事を産まない地点に来ている。日本のメディアにはもう力がない。現在はどう見てもアメリカの文化が世界を創っている。「さとり世代」は今後アメリカ発の文化を取り入れる事で発展できるとは言え、自分の精神性を見出す事、これこそが「さとり世代」の課題だと私は観る。社会を変えるのもOK。しかしそれ以前にバブルの物質的な馬鹿騒ぎで疎かにされ、バブルの世代が見つけられなかった精神性を各自で取り戻す事。敢えて大げさに言うと、地球の精神資源はもう、出揃った、と理解する必要がある。例えばニーチェや九鬼周造のような哲学者、マイケルジャクソンやエルヴィスのような新規性、もろもろの精神資源はもう2度と地球に出て来ない。精神は出揃ったと観ていい。現在の文化は、「さとり世代」のような小市民文化的な優しいコスモポリタニズムであって、外的に物質的にアメリカナイズされたり、概念的に西洋化されて便利になっても、基本的な精神基盤はもう産めない。だからこそ、過去の最良の精神基盤を見渡す必要がある。今、精神文化のすべてを吟味し、評価できる時代に来ている。そこからこそ、次の時代を切り拓く可能性を得られると考えていい。それがバブルで怠けていた世代が到達できなかったものだ。バブルの世代よりもよほど有望な「さとり世代」には、素養がある。まだ「さとり世代」はピュアなままだ。例えば、今、エルヴィスを復活させるなら、過去の流行を再燃させたに過ぎず、それが起こるなら「さとり世代」はそれだけ無能となる。産む力は”自分の”精神の中にある。新しいものを産む精神基盤とは何かを、自分のフィーリングによって判断しなければならない。そうでないと、この「さとり世代」は全員、オウム返しのように、過去に起きた精神映像を復元する、無能な奴隷になるだろう。新規の流行を文化を創る事ができなくなったのも、小市民になったのも「さとり世代」の責任ではなく、地球の必然。碇シンジ君のように、逃げちゃだめだ、であり、一切の過去の神話が、「さとり世代」の前に、ある。全て諸々の世代ができなかった精神基盤を自己回復すること、その叡智を持って次の時代に意識的に突入しなければならない。

さとり世代の子は今の社会の総体を見て、何を思うのだろうか。私は、彼らの曇りない眼には、闇が映っているように感じる。ブラック企業とは若いにも関わらず彼らが能動的に”創造した”言葉だ。(ニーチェは評価することが創造することだと言っている。)

君の中は闇ではない。君の周囲が闇なだけだ。闇は虚偽であり、何も学び取る必要はない。君の外の光を丹念に探せ、そうすれば君の中に光が蘇り、闇も過去の亡霊も打ち砕くだろう。君が抱いた恐怖を消すことができる。

●「さとり世代」のコスモポリタニズム

原田曜平氏は、経済的基盤が「さとり世代」を生み出したとしている。かような若者文化研究所は、注目すべき重要性を持っていると思える、が、私は経済基盤が問題ではないと観ている。今アメリカが格差社会や女性問題を取り上げており、すでに人種差別問題で大きな成果を上げている途上にあり、今後それに見合って日本でも社会的な動きも出てくると思う。しかしどんなに社会問題と戦い得ても、単にシステムの話であり、内面性や精神性とは無縁である。彼らは学生運動(大学闘争etc)という過去の精神の発現を知らない。ケバケバしいバブルの時代の前には、ビートルズをはじめとした世界規模の精神文化の戦いがあった。彼らは、まだ、自分の精神を闇だと感じている。彼らはバブル世代が未解決のままにした社会と精神の闇を、取り込まざるを得なかった者。だから全力で否定しなければならない。バブルの骨抜き世代が社会に呑み込まれてできなかった事を彼らは今観ている。

彼らのコスモポリタン性の平和主義には自然に進化した精神性の受け皿がある。素養は十分だが、内面の闇、社会の闇に惑わされてはいけない。光はある。技術がどんなに進歩をしようが、社会が何かを誇ろうが、頭から否定し笑えばいい。精神は翼である。

バブル世代という弱者を見おろして、探すものは神話であり、精神性であり、「主人公」であるということ以外の何物でもない。「人類の精神史」を解決してみせろ!

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