ハワイ計画⑤

本日、面白い文章を読んだ。シュタイナーの講義だ。

このブログで自分の努力と軌跡を書いてきた。それは人とつながるためだけに、自分なりの自己表現だった。自分の課題を書く事によって明確にする目的もあった。しかしハワイでは新しい人との会話の全てが自分に影響を与えたと思う。とても役に立ったし予期せぬ成長に感謝しているが、結局ハワイ計画の最も重要な確信が得られず、謎のままの事がある。それはいつか分かる日が来るかもしれないし、来ないかもしれない。それでもいいと思う。しかしとても楽しかった。

今日、ふと思った事がある。何故ハワイに来ているのか、色々あるけれど、一つの答え方として、『尊敬できる場所を探している』と答える事もできる。そういう意味でハワイに来てみて、アントロポゾフィーを追求したいならば、別にドイツでもいいのかな、とも思った。結局の所、少しでも真剣な場所、尊敬出来るグループ、を求めているのかもしれない。それは自分の道を追求する事とは別ではある。上記の面白い文章のように。

明日が最終日だが、ひとつ気になった事がある。それは人種差別について。独/スイス/伊に居た時は、それこそ一度も嫌な扱いは受けなかった。しかしハワイとはいえアメリカ。アメリカ人が何を考えているのか、まだまだ読めない所がある。ドイツにいる分には割合、能力や人柄に対して公平さが感じられた。イタリアでの友達からは日本ベタ褒めだったが、イタリア人気質が一番僕には合う。イタリア語を話すだけで、気分が変わるのが不思議だ。今の所、ハワイでのマイナスポイントは、ABCストアでの釣り銭誤魔化し、某所で日本人女性&ロコ女性と会食した時の違和感、くらいだろうか、まだ直接的な差別らしいものはないのだ。

だが、ここアメリカではアメリカ自身の過去から逆算し、アメリカ自身の『えげつなさ』『力が正義という訳のわからないもの』『ヨーロッパ人と較べての野蛮さ』が気になってしまう。アメリカ人ってヨーロッパ人から較べると、馬鹿で、ミーハーで、素直で、見栄根性で、等々、思っていたのだが、アメリカ人は進化したのか、退化したのか、も考えるようになった。えげつないアメリカは、素直ではある。どんな汚い手を使っても、どんなにメディア(世論)を操作しても、平気っていうのは、素直???なのか、そこが進化というべきなのかが、民族?国家?的なアメリカが気になるのだ。今後何を目指しているのか、どういう人類の中の位置づけで後世に評価されるのか、思い描いてしまう。えげつない行為は一体なんなのか?アジアンやヨーロピアンの気(悪徳)が弱いだけで、意味のないモラルを捨てたアメリカこそ、賞賛されるべきなのか?確かにアメリカは自由を世界にもたらした点で、素晴らしいし、尊敬されるべきだ。それは確かだ。気品があまり感じられないのも、品そのものが無駄だから。アジア/欧/米のリアリズムの違いとも解釈出来る。ではそのリアリズムの先には何があるのだろうか?さらに発展できるのだろうか。

ハワイで自衛隊の官僚と話す機会があったが、彼は911テロを始め、ことごとく自作自演であり、それは世界の常識だと語った。

アメリカの魅力とはなんなのだろうか?アメリカはインディアンを虐げ、黒人を虐げた歴史がある。Rシュタイナーは若い民族が古い民族を征服する事は、『死』と『賢さ』を取り入れる事だと言っている。分かる気がするし、それに霊的な意味も納得できるが、何を目指しているのだろうか。

神に生け贄を捧げる神官は、生け贄に対しても、神に対しても感情を持っている。彼の目的は彼にとっては聖化されているだろう。もし生け贄が彼の意志を拒否したら。。

 

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